「特攻」と日本人 (講談社現代新書)



「特攻」と日本人 (講談社現代新書)
「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

ジャンル:歴史,日本史,西洋史,世界史
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やっぱり犬死なのでは?

 特攻隊の戦死者は,海軍が2431人,陸軍が1417人と推定される。そのうち7割が学徒兵であろうという推測もあるらしい。短期間で操縦技術を覚える知的能力の高さを有していたことと,正規の教育を施したわけではないから消耗しても海兵・陸士出身の将校ほどには軍にとって損失が大きいわけではないこと,から,学徒兵は便利に使われたらしい。

 筆者は,過剰なまでの思い入れを抱いて,学徒兵の日記等から彼らの心情を思いやるのである。その結論として,次の3点を指摘する。
(1) 学徒出身の特攻隊員は,こういう理不尽な作戦に反対だった。反対だったからこそ,自らの肉体を爆弾として体当たりした(賛成だったら,他人にこの役を押し付けたに違いない)。
(2) 特攻隊員は,戦争指導に当たっている軍事指導者に心底からの怒りをもっていた。
(3) 特攻隊員は,臣民から「神」と扱われることで,臣民に対しても抜きがたい不信をもって体当たりしていた。

 私としては,上記に特段異論があるわけではないが,だとすると,結局彼らの死は「犬死」に他ならなかったのではないかと思うのだが,どうだろうか。
 筆者が高校生の息子(教師が泣き声で特攻隊員の手記を紹介したことに疑問を抱く)と交わしたという,下記の会話こそが,もっと本質的なところを表象しているように思われた。
≪(注・息子)「でも特攻隊員が体当たり攻撃をすることによって,アメリカの海兵隊員も何百人も死ぬわけだろう」
 (注・筆者)「そうさ。それが戦争だよ」
 「そのアメリカ人のことに誰が思いを馳せるんだよ」
 「それはアメリカ人たちの問題だよ。彼らも彼らなりに追悼しているはずさ。そこまでは私も知らない・・・」
 「それではいつまでたっても戦争を続けているということじゃないか。活字のうえで戦争をくり返しているということになるのじゃないか。そりゃあ特攻隊員も気の毒だとは思うけど・・・」≫(33頁)


しかし我々は彼らを英雄であると言わざるを得ない

著者の主張は「特攻隊員は英雄でもないし、犬死でもない。」と言う。客観的に特攻という行為だけを見ると私も著者の意見に賛成である。

しかし、である。特攻隊員自身に何を見るべきかという観点、つまり、作戦としてどうであったかとか、社会学や歴史学的な位置付けなどではなく、人間の生き様としてどうだったかという観点からすると、私を捨てて公だか国だか、わけの分からないもの、得体の知れないもののために、死んでいかなければならなかった、そして、それを錯乱することもなく受け入れた、そのこと自体に敬意を表するべきではないか。

実際、ガチガチの右翼である私でさえ、国のために、本当に死ねるかと言われれば、相当腰が引ける。

彼らはいったいどういう心境で死んでいったのか。
この本を読むと、初めからそういう心境であった者は少なく、大部分は「よし、ついにオレも国のために死ねる時が来た(高揚)」→「やっぱり死にたくない(迷い・悩み)」→「しょうがない(諦念)」→「・・・・(無の境地)」というプロセスを経ていったように思える。

人間が生きるということがどういうことなのかを考える上で、その心境の移り変わりを想像(検証など出来ない、想像するしかない)することは、非常に有意義なことなのではないか。
特攻をどのように捉えるべきなのか?

「英霊」でもなければ「犬死に」でもないというのなら、いったい「特攻」で命を失った若者達はどのように語られるべきであったのか?「特攻」は何であったのか? そのような疑問を抱かせつつ読み進むと、どのようにして「特攻」作戦が始まったのか?「特攻」で出陣した若者達はどのような思いを家族や友人に残したのか?どのように自分の行為を正当化して納得しようとしていたのか?という部分が明らかになってくる。

この本を読んではじめてわかったのは、司令部の中でも少数ではあるが特攻に断固反対を掲げていた軍人もいたということ、そして、特攻で命を失った若者は大学生などの高学歴な者も少なくなかったこと、生き残った上層部が死んでいったものに罪を擦り付けたり過剰に称えたりしているという事だ。

なんとう時代だったのか、と同じ国民としてショックを隠せない。そして、同じようにマスメディアを巧みに使って戦争を続けている国々が未だ存在することに、軽い絶望感さえ感じる。人間の弱さや愚かさというものは歴史を重ねてもあまり変わらないものなのか、と考えさせられた。

この本だけでは全容はつかめない。だけれども、特攻について何か知りたい人が取っ掛かりとして始めるにはいい本かもしれない。残された手紙の部分は泣かずにはいられないです。
「特攻」の記憶はいかに「国民的記憶」化されるべきか

「特攻」の犠牲者たちは、「英霊」でもなければ「犬死」でもなかった。そのようなフレーズで「特攻」を語るのは死者への冒涜以外の何物でもない、と著者は言う。

思えば、私は、「特攻」という悲劇を知りつつも、それをまともに考えるのを忌避していたように思う。なぜなら、「特攻」という悲劇は、小林よしのりや、靖国の遊就館のように、ナショナリズムの肥やしとして利用されるきらいがあるからだ。

しかし、著者は遺言等に正面から向き合い、精読した結果こう言う。「特攻」で散った若者たちは、あの戦争と、「特攻」作戦そのものに対して、批判的であったと。一見「時代賛歌」的な内容の文章であっても、「予定された死」の恐怖や、「こんな戦争をしているこんな国家」に生まれたことへの嘆き、家族への思いがあった。故に、「彼らの犠牲があってこそ、今日の我々があり、繁栄がある」式の「賛辞」は、彼らの苦悩を切り捨てるものでしかないのである。

「特攻」を記憶する、敷衍して言えば、「あの戦争」を記憶するには、なによりもまず、当時を生きた死者たちの「思い」を真摯に汲み取っていくことが不可欠であろう。本書における著者の態度からは、学ぶべき点は多い。

やっぱり文章が下手だ

 内容はいい。よく調べている。結論も同意できる。でもね、やっぱり文章力がない。
 彼らは決して喜んで志願したのではない、遺書の行間を読め、というメッセージはよく理解できる。そしてその指導をし、戦後責任回避にのみ終始した醜い高級軍人たちにへの怒りもよくわかる。
 でも、私にこの本の編集をさせてもらえたら、3分の1にできるな。
 タイトルの「特攻と日本人」の意味が未だに分からん。私だったら「彼らは志願したのか?」ってな感じにするけど。
 まぁ、保阪さんは文藝春秋にずいぶんと評価されているようだし、今後もこの人の本は読むことになると思うのだけど。文句なしで星5つをつけられるような本を書いて欲しいなぁ。



講談社
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「特攻」と日本人 (講談社現代新書)

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