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「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで
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| ジャンル: | 歴史,日本史,西洋史,世界史
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「日本人」とは何か?
前著『単一民族神話の起源』が日本人の自画像を論壇レベルを中心に分析したのに対し、本書は、日本人の境界が恣意的で可変的に揺れ動くさまを主に法制・教育制度レベルにおいて分析する。「日本人の境界」がどのような要因によって設定されてきたのか。「境界線上」にあった沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮などに対する政策論を分析していくことによって「日本人」とは何かというテーマに迫っていく。
大日本帝国の国民統合において、「包摂」と「排除」は常に表裏一体であった。朝鮮・台湾総督府・内地の内務省・民権運動家などといった多様なアクター間の葛藤、そして欧米の脅威という対外関係といった諸変数が交錯する中、「日本人の境界」は常に排除志向と包摂志向の狭間で揺れ動く。国家が国防・財政上の人的資源を動員しようと企図するとき「包摂」の力学が働く一方で、ご都合主義的な「排除」の力学も混入するのである。かくして朝鮮や台湾等の「日本人の境界」にあたる地域の人々は「日本人」としての義務を背負わされる一方で、「日本人」としての権利を付与されないという境遇に置かれてきたのであった。琉球併合から朝鮮・台湾の植民地化に至るまで大日本帝国の政策は「日本人であって日本人でない」曖昧模糊とした存在を生み出してきたのである。いかなるアクターがいかなる論理を展開し、「日本人の境界」を揺れ動かしてきたのか?大日本帝国支配の前に、境界の人々はどのような生き残りと社会的上昇戦略を試みたのか?膨大な史資料を渉猟しつつ描き出される本書の分析・叙述は極めて刺激的だ。日本の植民地主義を論じる上で、そしてこれからの社会の在り方を構想する上でも欠かすことのできない一冊だと思う。
日本人とは?日本人になることとは?
初めに軽く全体的に目を通すと、「日本人であって日本人でない」「差別即平等」「異心同体」と何やらいびつな言葉の並びに気付く。しかし、この本に取り上げられた近代日本の植民地政策や言説の出現背景とそれらの時流による変化を丹念に追っていくと、そういった言葉が実際のものとして浮かびあがり、当にこの本における主題であることに気付かされる。
「単一民族神話の起源」に続き、膨大な資料をこなし整理することによって、様々な人間の思想模様と変化を見事に目の前に描いてくれる。個人的には「思想は人間のために存在するのであり、人間が思想のために存在するのではない」という言葉に見事に打ち抜かれてしまった。(本来欧米列強諸国のための)植民地政策を誤解や曲解を交えながら日本の政治家や学者が吸収し、それを植民地に実施するが、今度はその政策を被支配者であるはずの朝鮮人や台湾人などが学習し逆手に読み取り、「自らを日本人として認めながら」独自性を主張し行動する様は非常に印象に残った。そういった思想の読み違えによる利用を「思想の<正しい>解釈から批判するのは、およそ意味のないことである」とも記されている。
先発の欧米の文明に必死に追いつこうとするが、追いつけず、認めてもらえず、苦悩する後発の日本。植民地を「日本化」することと「文明化」することが必ずしも一致しなかった現実が、何よりそれを物語る。他に、現在でも議論の絶えない朝鮮半島での創氏改名や徴兵制政策、1972年の返還まで「日本人であって日本人でない」状態が続いた沖縄の闘い、何より思想家や学者の主張の起源を出身地や生い立ちまでさかのぼり分析して提示する著者の洞察力はすさまじい。近代日本の再考にはずせない一冊である。
「有色の帝国」だった近代日本の歩みからナショナリズムの負の側面をみる
著者によれば、明治期の為政者は欧米列強によるアジア植民地化の動きに大きな危機感を持ち、できるだけ遠方に国境線を引いて国防拠点を確保しようと、北海道開拓と琉球処分を直ちに行った。また国防の観点からみて当時のアイヌや沖縄人の忠誠心は疑わしく、有事の守りにならないとされたから、北海道へは政策的に多くの植民者が送り込まれ、沖縄では学校教育によって、国家への忠誠心の育成が図られたという。
また当初から、コスト論に基づいて本土住民以外を「日本人」から排除する間接統治路線と、国防を重視して包摂する同化路線が対立していたが、結果的には国防を最優先したことから同化路線が主流になっていく。但し、この同化路線はあくまでも方針であり現実的政策ではなく、将来の同化と当面の分離、国境内への包摂と国内的な排除が、最終目標と一時的便宜として同居する欺瞞的なもので、こうした方針が台湾・朝鮮にも適用されていく。
著者はその要因として、当時の日本が欧米との関係では差別される側だが、隣接する周辺地域との関係では差別する側という両義性を帯びた「有色の帝国」だったことを指摘する。そして現在も、強者への憧れと対抗心の間で揺れ動きながら、自覚を欠いたまま弱者への支配を行う「有色の帝国」による侵略は、中国のチベット統治やインドネシアの東チモール併合など枚挙にいとまがないと付け加える。
著者が1970年代以降に唱えられるようになった多文化主義の立場から、当時の政府の同化主義的政策を批判するのは少しずるい。しかし、ナショナリズムによる紛争や侵略が頻発する現在、近代日本のナショナリズムの負の側面を批判的に検証することこそ、国民国家システムの成果と限界を知り、紛争に対処する上で重要だ。その意味で日本と周辺諸国との軋轢の原因を探るのでなく単純に日本人のナショナリズムに訴えがちな最近のメディアの風潮は、著者も言うとおり歴史に学ばない愚行だと思う。
実はそれほどたいしたものでもない本
小熊氏の論文著作はかなり高く評価されているものの、実際その声にまどわされず読んでみれば、悪くは無いがそれほど質が高いものでもない事に気づく。たとえばこの本のテーマも、日本人の境界であるが、これはたとえば日本人でなくとも、「中国人」などといえば、中国史を知っている者であればこれが誰でも揺らいでしまう概念であることは分ると思う。それは日本人以上であるともいえる。他の国でも○○人、○○民族といえば歴史的はいずれも必ず揺らいでいるものだ。だから格別、驚くようなテーマを扱っているわけではない。論脈にも疑問がある。「沖縄の人を言語学的に日本人だとする説は意味をなさない、戦前には朝鮮人に対しても日本人として立証されていたりした」などというが、彼は戦前の未熟な言語学と、現在の先進的な言語学を同列に並べて論じている。これは愚劣である。また著者の不自然な中立意識にもぎこちなさを覚える。ただ資料を駆使し、かなりの分量を研究したことは評価できることである。結論を言えば、小熊氏が特別好きでない限り、買ってまで読むほどの内容ではない。
必読の小熊三部作
本書での研究方法も「単一民族神話の起源」と同様、過去の言説の収集および分析である。「単一民族」を取り上げた著者の関心からいえば、次は「日本人とは何か」にテーマが移るのはごく自然だろう。 本書では大きく分けて戦前の植民地の同化の問題、戦後の沖縄復帰問題の二つを取り扱っている。そこにアイヌ問題が挿入されている。もちろん、この問題については戦前と戦後の連続性は見逃せない視点なのだが、次の「民主と愛国」に繋がっていく問題意識からは戦後の沖縄問題の方により興味を覚えた。とりわけ「日の丸」こそが復帰前の革新のシンボルであったという指摘には意表を突かれた。また、革新大田県政から保守稲嶺県政への移り変わりの裏には<日本人>であることの葛藤を含めた沖縄の方々の複雑な思いがあることに改めて注意を促された。 酒井直樹氏その他の指摘通り、国家の統一においては言語は重要な要素を占めている。アイヌ・沖縄をはじめとする「境界」のひとびとに対して、方言札という象徴的な方法も含めて、徹底した独自文化(=言語)の抑圧が行われたことも見逃してはなるまい。言語学者では田中克彦氏が積極的に発言しているが、ここでの小熊氏の視点も併せて参考になる。 本書は著者の政治的な視点が図らずも滲み出てしまっているが、それは取り上げた題材が題材だけに仕方ないだろう。本書の、<日本人>を論ずるときの共通理解としての地位は不動であると思われる。
新曜社
単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜 〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性 戦争が遺したもの 対話の回路―小熊英二対談集 辺境から眺める―アイヌが経験する近代
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